建築計画研究所 都市梱包工房

ARCHITECTURE DESIGN & CITY PLANNING OFFICE

 


 

 
第26話  中国水辺の集落.1
      運河と水辺の街<東洋のベニス蘇州>
 
1|2 


 

 

 
 
 
 
 
 

 
世界各地には水辺と深く関わり発達した町や都市が数多く見られる。国内でもその成り立ちを探ると、河川や湖沼等の水辺と深く関係してきていた町や都市が意外と多い。
 
だがしかし今日では町が成熟するにつれて,その水辺と人々との生活関係が稀薄になって、そのかっての構造は分かりにくくなって来ている。特に水辺が埋め立てられたりして姿を消してしまっているからだ。集落や街並の景観として、今に生きている姿をとどめる地域はどんどん少なくなっているようだ。
 
そうした水辺の集落景観や、その生活が今日に残る水郷の町を中国に訪ねた。場所や生活慣習は違っても人々の水との関わり、水辺風情はどこか私達の心象に充分に通じるものであった。
 
大河揚子江の南に位置する江南地方は、見渡す限りの平坦な大地。いたる所に河川や湖沼、運河が走る。それらの河川は広大な大地を網の目のように巡り、そこに豊かな農地と大小様々な水辺の街や集落を築いていっている。
「蘇湖熟、天下足……蘇州と杭州の作物が豊かなら中国全土がまかなえる、の意」日本を「黄金の國」と紹介したあのマルコ・ポーロは、江南地方を訪れその美しさと豊かさを絶賛している。13世紀の事である。その中心都市が蘇州の街なのだ。
 
水辺の街蘇州を、運河の街あのイタリアのベニスに例え、「東洋のベニス」と書き残している。がしかしその歴史からすると、マルコ・ポーロが訪れたさらに一千年以上も前からから蘇州の街は栄えていたのだから、ベニスこそ「ヨーロッパの蘇州」と言われるべきなのだろう。
 
今日に見る蘇州の都市の骨格は、ほぼ宋時代には完成して明時代(1368~1662)には今とほぼ同じの100万都市として繁栄していたと言う。東洋のベニス、水の都と賞讃された蘇州は現在ではその河川や運河は半分以上が埋め立てられ車のための道路に変わってしまった。
 
埋め立てられた運河沿いにはかっての街並と似ても似つかないビルが建ち並んで来ている。この街の美しさを知る人にはそれは忍びない風景と映るのだろうが、それでもまだかっての水の都蘇州の面影を今日に伝える街並は幾つか在る。特に蘇州の街の外周を巡らす外堀(外城河)はほぼ当時のままだ。つまりマルコ・ポーロの観た運河と同じ景観として在り、その外堀に繋がる細く小さな運河沿いには、まだかっての水辺の生活や街並が色濃く残こる。

 

   

 

 

 


■LINK  ■SITE MAP  ■CONTACT
〒151-0053
東京都渋谷区代々木3-2-7-203
tel : 03-3374-7077
fax: 03-3374-7099
email: toshikon@eos.ocn.ne.jp